白龍亭・荘助 - 隠された怨念
■ 目次 >> 考察 >> 八犬伝邪読／荘助 - 隠された怨念（2025年 12月～）
[ 八犬伝邪読 - 25 ]
これは、邪読-24「自分勝手な善人」で語った犬川衛二の続き。今度は息子の荘助（この段階ではまだ荘之助だが）について。
● どん底に落ちる荘之助
突然父親を失った後の、犬川母子。
近所に親族もいるのだろうが、殿様に嫌われて潰された家の者を引き取ったら、自分たちも危ない。そりゃあ、保身として拒絶するしかないのだろうな。理解はできるが冷たいものよ。
額藏「里見の家臣蜑崎十郎輝武といふものは（中略）母の從弟でありしかば、彼蜑崎を心あてに（中略）辛して鎌倉に赴き、安房へ便船を求にけれども、今戰國の最中なれば、海陸の通路たえて、彼處より船を出さず…」
（第二輯第二十囘）
で、安房の親族を頼るしかないと。
伊豆の北条という場所は、伊豆半島の付け根だが駿河湾側。相模湾に面した鎌倉に向かうには、箱根を越えたか、足柄を越えたか、いずれにせよ険しい峠越えから始まる旅だ。苦労して着いた鎌倉から、安房への船便なし。行徳→上総の便ならあるよ、ということで陸路行徳へ。
額藏「この郷まで來る程に、路費を賊に掠とられて、宿借るべうもあらざれば、已ことを得ず、村長の宿所に赴き、云云のよしを告て、その夜の宿りを乞といへども（中略）その錢なしと聞しより（中略）小厮して追出させ、門さへ杜て見かへらず、日ははや暮て雪はふり來ぬ。進退其處に究りて（中略）先だつ親は果敢なく滅て、よになき人の員に入りしは、十一月廿九日の事なり」
（第二輯第二十囘）
途中、大塚にて旅費を盗られて万事休す。
宿泊費がないから村長に柴小屋でもいいから泊めてくれと頼んだけど、当然、蟇六・龜篠夫婦にそんな優しさはなく。雪が降るその夜、母は死亡。七歳（数え年齢）の莊之助はひとり残された。
* 旧暦二十九日というのが、さらに悲しい。ほぼ新月。雪をふらせる雲の存在もあいまって、夜は漆黒の闇。その中で親を失うわけだ。
額藏「一生涯奉公せよ。給銀とらせぬそのかえには、養殺しにして得させんず、といはれし時は恨しく、朽をしき事限りなけれど（中略）これより長の小厮にせられて、五年あまり送りにき」
（第二輯第二十囘）
結局、あまりにひどい話に世間体を気にした村長夫婦が、残された子供を小厮にして養うと。といっても生涯ただ働き。事実上、奴隷働きとすら言える。武家の子どころか、農民の子よりも悲惨な境遇に落とされるわけだ。
* これは十一月二十九日の翌日。悲惨なことに、寛正六年の十一月は小の月。つまり二十九日の翌日は十二月一日。莊之助が大塚家の下男になったのは、彼の満６歳の誕生日である。
● 復讐不可
荘之助、改め額藏をここまで不幸にしたものは何か？
大元をたどれば、父・犬川衛二を自害に追い詰めた ① 堀越公方・足利政知であり、② 政知に讒言して犬川衛二を陥れた奴である。
当然、彼等は復讐の対象となるはず。
だが、これまた不幸というべきか、復讐したくても復讐できないのだ。
まず、② 政知に讒言して犬川衛二を陥れた奴。
これは、そもそも誰だかわからない。犬川衛二が、家族に何も告げずに自害してしまったからである。
で、元凶たる ① 堀越公方・足利政知。
これに関して、邪読-23「北越のハトシェプスト」で引用した箇所を、重複するが、もう一度引用する。
稻戸津衞「俺が本貫も亦伊豆にて、親は則堀越殿（足利政知）に、仕へたるものなりければ、（中略）
君家の斷絶
、政知亡させ給ひしかば、某們も亦流浪しつ、些の由縁を心當に、這地に來つゝ幸ひに、淺き文學武藝をもて、長尾殿に仕しより、漸々に登揚せられて、老婦人に隷られたり」
（第八輯上帙 第七十九囘）
これは、文明十四年の夏、荘助と小文吾が、稲戸津衛に出会った時の話である。
稲戸津衛は、仕えていた堀越公方家が滅亡して流浪。長尾家に仕えて、何年かを経て、越後片貝城のすべてを取り仕切る箙大刀自の執事まで出生した。仮に出世するのに十年かかったとすれば、堀越公方家の滅亡は 文明四年頃となり、荘助はまだ額蔵として大塚家に仕える身分である。復讐を考えることすらできない状況だ。
* ちなみに、史実での堀越公方家の滅亡は 明応二年、足利政知の死はその前年の 延徳四年年。これは、八犬士が里見八姫と結婚してから七年後になる。つまり、史実より約二十年早まっている。
堀越公方家の滅亡について、別の角度からも考察してみる。
河鯉守如「近曾小田原の北條氏、武威八州
に跋扈して、その鋒當りがたかり」
（第八輯下帙 第八十九囘）
これは、文明十五年の一月、河鯉守如が物四郎こと毛野に籠山逸東太殺害を依頼する場面。この時点で、北条氏が小田原まで進出していることがわかる。
史実では、早雲が小田原城を奪取した年は史料によって異なるが、明応四年以降だという。つまり、足利政知の死後、最低三年はかかっている。その三年を八犬伝に当てはめると、最低でも文明十二年以前に政知は死んでなければならない。
この頃、荘助は道節とともに西日本方面を放浪中。
文明十二年であれば、伊豆に向かって仇を狙えなくはない。ただ、河鯉守如の言いっぷりからして、北条氏が小田原に進出した直後ではなく、そこから関東に領土を拡げようとしているようだ。となると、三年前ではなく、もっと前ということになる。少なくとも数年前ではあろう。五年前の 文明十年の前半までは、荘助は大塚にいるから、やはり仇討どころではなかった。
* 足利政知への復讐ができない理由に関して、ゆーかさんの「伏姫屋敷」の勘ぐりと細かいネタの項目下にある「堀越公方政知の位置」ページに考察あり。
更に、復讐すべき悪人はもうひとりいる。
③ 犬川母子の旅費を奪った奴。
だが、これまた誰だか分からない。その後、大塚に定住した額蔵が見かけていないところからして、地元の悪党ではなさそうである。これでは仇を探しようがない。
● 加護がない？
八犬伝世界は勧善懲悪。
悪人には必ず罰が与えられる……はず。しかし、この三悪人はどうなった？
① は攻め滅ぼされることもなく普通に生涯を終え、② と ③ は誰だかわからないまま、末路も不明。
荘助の周囲に、勧善懲悪は適用されないのか？
荘助に、伏姫神女の加護はないのか？
「憐むべし額藏は、背破れ、皮肉爛れて、忽地氣絶してければ（中略）種々の苛責に筋骨痛て、心地死べう覺るとき、件の玉を口に含み、又これをもて身を拊れば、苦痛立地に除去りて、心地清々しくなるのみならず、杖瘡は一夕に瘥て、その痕もなくなりにけり」
（第五輯 第四十二囘）
額蔵の荘助が、大塚で捕縛され、拷問を受けて重傷を負った時、玉の力で謎の回復をしている。
やはり、伏姫の加護がある……ように見える。
でも、この時の玉は、入れ替わってしまった道節の「忠」の玉。一方で、荘助の「義」の玉は、伏姫の加護とおぼしき活躍はない。加護というものが、直接犬士に及ぶのか、玉経由で発揮されるのか不明なので何とも言えないが、荘助の不幸多き人生を見ると、直接的加護があるようには思えない。
* この辺については、次の邪読-26「荘助 - 義の宿命」にて考察している。
● 実は根に持ってる
恨みを晴らしたくても晴らせない運命。
やってられねぇ、と言いたくなる人生だろうが、犬士様がそんなことは言えない。
もうひとつ、言えないことがあろう。
彼を不幸に陥れた大元が足利政知だとしても、直接的には、家族に黙って自害して犬川家をつぶした父・犬川衛二こそが不幸の源である。この父親のせいで、彼が不幸になっただけではない。母親も不幸になっているのだ。母を想う子として、この父親を許せるのか？ いや、許せまい。だが、それを口にすることはない。
でも…
「菅菰・大塚
の郷は、犬塚信濃の故郷にて、二親の墓は香華院に在り。又犬川莊介の母の行婦塚あり。父犬川衞二の墓は、伊豆の堀越に在り。又大塚には、犬飼現八兵衞が実父、糠介の墓もあれば、倶に立よりて墓詣をすべく（中略）路草を喫ば、親の爲とはいひながら、公道を疎にして、私事に耽るに似たり。墓詣の事はしも、異日の便宜を俟には不如、と思ひかへしつ（中略）這三犬士は、次の年に至りて、義成主に願ひ稟しつ、倶に大塚の郷にゆきて、是等の本意を果せしなり」
（第九輯第下帙下編之下第百八十囘上）
対関東管領戦が終わり、里見家と管領家が和睦した後、荘介（この頃は荘助ではない）は、母親の墓参りに行っている。
だが、父親の墓には見向きもしない。伊豆はすでに北条家の支配下にあるが、まだ里見と北条が敵対する時代ではない。管領方の大塚に母親の墓参りに行かれるのであれば、伊豆にも行かれるはずだ。
だが、荘介は行かない。
本心は言葉ではなく行動に表れる。
つまり、彼は父親を許してはいないし、怨念もあるということだ。
* 史実では、墓参りの年に足利政知はまだ生きているし、北條早雲こと伊勢新九郎も、まだ駿河今川家の家臣にすぎない。
──で、荘助は何故かくまで不幸なのか？
それについては、邪読-26「荘助 - 義の宿命」につづく。