白龍亭・荘助 - 義の宿命
■ 目次 >> 考察 >> 八犬伝邪読／荘助 - 義の宿命（2025年 12月～）
[ 八犬伝邪読 - 26 ]
これは、邪読-25「荘助 - 隠された怨念」の続き。といいつつ、話は荘助と関係ない「常陸国」から始める。
● 常陸国の空白
関東は、今は「一都六県」、昔は「八州」である。
その八つの国の中で、唯一、八犬伝物語の舞台がないのが「常陸国」だ。
* 常陸国は現在の茨城県の大半を占めるが、その茨城県には「結城」と「古河」という、八犬伝の重要舞台がある。ここは茨城県であっても、下総国だった場所。
なぜ、常陸は舞台にならないのか？
「常陸の左武、高久・鹿島は、同意の答ありながら、期に逮びて來會せず」
（第九輯下帙之下乙號上套 第百五十二囘）
一応、常陸の戦国大名・佐竹氏も「左武」として名前は出てくる。
ただ、それだけ。
舞台にならない理由でひとつ考えられるのは、佐竹氏を名前だけでなく活躍させると、話がややこしくなるから。
ただ、これは説得力がない。なぜなら八犬伝には、領主が登場しない信州諏訪を舞台にしたエピソードがあるから。同様に常陸を舞台としても領主を登場させなければいいのだ。さらに言えば、限りなく常陸国境に近い結城や古河が舞台になっているのだから、常陸国に足を踏み入れることに何も問題はない。
ならば、常陸を排除した理由が他にあるはずだ。
他の七州にあって、常陸にだけないもの。あるいは、他の七州になくて、常陸にだけあるもの。それについてあれこれ考えているうちに、ひとつの答を見つけた。
江戸湾に流れる川。
これが常陸にはない。すべての川が太平洋に流れて、江戸湾には注がない。
* 江戸湾という呼び方は幕末に登場したものらしく、馬琴の時代は内海と呼ばれていたらしい。ここでは便宜上、東京湾の古名として使うことにする。
八犬伝の謎-02「水系と八犬士出現エリア」でも書いたが、八犬士の出現は江戸湾に注ぐ川に沿っている。つまり、江戸湾に注ぐ水系は八犬伝では必須なのだ。これが、常陸国にはない。
● ヒントは江ノ島
話は相模国に飛ぶ。
八犬伝の謎-17「神女の玉配り」でも触れたが、弁才天に子宝を祈った手束の前に伏姫神女が姿を現した後、手束は信乃を身ごもった。伏姫神女と弁才天の間に何らかの関係がありそうな場面である。
で、関東で弁才天といえば、湘南にある江ノ島。
* 有隣新書「江島詣」は、副題に「弁財天信仰のかたち」とあるように、江ノ島と弁才天（弁財天）について詳しい。元々弁才天信仰の神仏習合寺院だったものが、明治の廃仏毀釈の嵐の中、海神を祀る江島神社に衣替えせざるをえなくなった話や、島の覇権の座をめぐる三つの坊の争いとか、江戸城大奥の客からうっかりぼったくってしまって大事になった話とか、小さな島にも色々な歴史があるものだ。
→ 有隣堂
ここは弁才天の聖地であると同時に、弁才天を守護する龍神の地でもある。
さらに、江ノ島を望む本土側（江ノ電の江ノ島駅があるあたり）には龍神の口があるという、龍ノ口という地名がある。
* 龍ノ口には鎌倉時代に刑場があり、日蓮が処刑されかけた。それを龍ノ口法難といい、その場所は現在、日蓮宗の龍口寺がある。寺の目の前に江ノ電の線路があり、鉄道ファンなら誰でも知っている「江ノ電ニキ」騒動の現場はここだ。参照 → Wikipedia「江ノ電自転車ニキ」
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↑江ノ電（2002年の車輛）と龍口寺
龍！
このサイト＝白龍亭の命名由来にもなっているが、八犬伝は龍に始まる物語だ。龍は水神でもあり、水といえば江戸湾に注ぐ川。で、伏姫神女と弁才天。……これだけパーツが揃えば、その答は明白だ。
江戸湾に注ぐ川の源流から、江戸湾の出口まで、南に向かう水は龍脈なのだ。
* 龍脈とは風水の用語で気が流れる道筋。
* どこまでが東京湾か、公式の答がある。内湾と外湾に別れているが、外湾も含めた広義の東京湾は、三浦半島の先端と、房総半島の洲崎（役行者の聖地）を結ぶ直線まで。江戸湾も同じ地理感覚だったであろう。
八犬士はすべて、この龍脈の中に出現する。
──そう、「出現」する。
つまり、「生誕」に関しては全員ではないのだ。二人の犬士が、この龍脈から外れたところで生まれている。
● 外から来た二犬士
龍脈の外で生まれたのは、犬阪毛野と犬川荘助。
水系で見ると、毛野は相模湾に注ぐ川沿い、荘助は駿河湾に注ぐ川沿い。江戸湾とは無縁である。
彼等に関して、邪読-19「八人中、二人だけ◯◯」でも触れているが、共通するのは「母親に連れられて故郷を離れる」という母子旅。しかも目指したのは、どちらも鎌倉。龍脈に近づく方向だ。
ここで、もうひとつの事実に気づいた。
毛野と荘助だけが、母親より先に父親が死んでいる。
龍脈の中に生れた犬士は、みな父親より母親が先に死んでいる。ほぼ同時に父母を失った犬江親兵衛の場合でも、僅差で母が先に死んでいるのだ。
なぜか？
天は非情だ。
それを考えると、ひとつの答が見えた。すなわち「母は二人いらない」ということだ。
犬士の霊的な母親である伏姫神女だけでいい。肉体的な母親には早々と退場してもらう。そういう残酷な宿命であろう。
だが、それは龍脈の中だけ。外に生れた二犬士には通用しなかった。となると、伏姫神女は、龍脈の中ではフルパワーを発揮できるが、そこから外れると思い通りにはならないことになる。結果的に、二犬士の母親は龍脈方向に引き寄せられて、短命に終わるわけだから、龍脈外にも多少の力は使えるのだろうが。
時を遡る。
伏姫が自害し、八犬士の種子が玉とともに飛び散った時のことだ。
玉が飛ぶ方向は、まだ神女になっていない伏姫には決められない。それは、天の意向か、役行者の思惑によるものである。
天なのか役行者なのかはともかく、毛野と荘助だけは、後に神女となる伏姫の思い通りにさせない、という意図が感じられる。伏姫の力が及ばない犬士が必要だ、ということだろう。
なぜに？
毛野に関しては、なんとなく理解できる。
里見家は、仁慈だの何だのと綺麗事ばかり言う。伏姫神女もそちら側で、最愛の親兵衛に神薬を持たせて敵兵の蘇生までさせている。
だが、戦国乱世にあって、そんな綺麗事ばかりでは滅亡必至だろう。それを防ぐためには、毛野のように敵兵の皆殺しを厭わない冷徹な現実主義者が必要なのだ。なぜかはわからないが、天意は「里見家を滅ぼさない」ことを最優先しているようだ。ゆえに、龍脈の外で毛野が生れる必要があった。
一方で、荘助はなにゆえに龍脈外の誕生なのか？
● 義玉は無力？
邪読-25「荘助 - 隠された怨念」でも触れた話だが、荘助が大塚の獄で受けた拷問傷を癒したのは、道節と入れ替わってしまった「忠」の玉の力だ。
また、荘助は越後でも捕縛されるが、運良く解放される。この時は、「悌」の玉を持つ小文吾が一緒だった。
で、荘助本来の「義」の玉が単独で、荘助の苦境を救ったことがあるのか？
ないよね。
ということは……「義」の玉には伏姫神女の加護がないのでは？
● 不敬では？
ここで「義」について、あれこれ考えてみる。
額藏「わが玉には義の字あり。父は犬川衞二則任といへり。よりてわが乳名、莊之助の之の字を省き、犬川莊助義任と名告るべし」
（第二輯 第二十囘）
義の玉だから、諱は義任。
一見、何の問題もないように思える。でも、この時代に諱に「義」の漢字を使って大丈夫なのか？
義という漢字は、源氏の通字だ。鎌倉の初代将軍は頼朝だが、父親は義朝だし、祖父は義頼。先祖は八幡太郎義家だ。八犬伝の舞台である室町時代でも、源氏の足利将軍家も初代尊氏以外はすべて義の文字が入っている。で、足利と並ぶ源氏の名家・新田の血を引く里見家だって、義実・義成・義通と続く。
徳川時代で言えば、下級武士が「家任」を名乗るようなものであり、不敬とされるのは必定。
やばい名をつけたものである。
秩序にうるさそうな里見家だから、荘助に対して、内心「義の玉だから仕方ないけど、なんだこいつ？」とは思ったかもしれない。
● 七犬伝？
「義」の漢字には、「正しい行い」以外に、もうひとつの意味がある。
それは「本物ではないが、本物と同じように機能する」という意味だ。実例は「義兄弟」や「義足」など、身近にある。
となると、義犬士たる荘助は「本物の犬士ではないが、犬士と同じ働きをする」とも言えてしまう。
無論、その場合は「八犬伝」ではなく、「七犬伝」になってしまうわけだが…。
「文化八年（1811）ごろ、馬琴は、里見の犬士の定数が「八」であるという動かしがたい既定事蹟をあえて無視して、『里見七犬士伝』を書くつもりだった。林美一が指摘した文化九年刊行の合巻『鳥籠山鸚鵡助剣』および『浪葩桂夕潮』の中には、たしかに『里見七犬士伝』の近刊予告が見えるのである」
（高田 衛 著「完本・八犬伝の世界」より）
実は「七犬伝」もありえた。
なので、荘助＝偽犬士説もあながち間違いとも言いにくい。
しかも、この説だと「なぜ荘助だけ関東以外で生れたのか？」を説明できてしまうのだ。
結局「八犬伝」ではあるのだから、さすがに「限りなく本物に近い偽犬士」ということはないだろう。
だが、「限りなく偽物に近い本物犬士」はありうるのではないか？
荘助は、父親を自害に追い込んだ足利政知への復讐も果たせないし、母親が死ぬきっかけとなった盗賊を捕まえることもできなかった。さらに道節の「忠」の玉の力を得なければ、あるいは拷問に耐えられなかった可能性もある。また、他の犬士が次男を故郷の郷士にしているのに、荘助には長男しかいない。故郷の伊豆に送る子供がいないのだ。
つまり、伏姫の加護がない。
もしかしたら、役行者の加護すらないかもしれない。天は荘助を見放しているのである。
* 映画「八甲田山」の中の台詞「天は我々を見放した」を思い出す。
犬士ならあるべき加護が、なぜ本物の犬士である荘助にだけないのか？
● ヒントは東照宮
日光・東照宮。
その中で最も有名なのは陽明門である。
この門は十二本の柱に支えられているが、そのうちの一本が逆さ柱だ。
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↑陽明門と東武電車のおもちゃ
逆さ柱は縁起が悪いものとされている。一方「満れば欠くる」と云い、完璧にしてしまうと後は壊れるだけ。ゆえに縁起の悪い逆さ柱を一本入れることで完璧にならないようにする。一種の魔除けなのだ。
これと同様、犬川荘助は、八犬士における逆さ柱なのだと思う。
逆さ柱だからこそ、関東で生れてはならず、逆さ柱だからこそ、復讐が成功してはならず、逆さ柱だからこそ、伏姫神女の加護を受けてはならず、逆さ柱だからこそ、子孫を故郷に残してはならない。
それが「魔除け」の宿命なのだ。
誰もやりたがらないが、誰かがやらねばならない。
そんな役割を引き受けることも、「義」にふさわしいのかもしれない。
* そう考えると、源氏が通字として名乗る「義」よりも、荘助の方が正しく「義」であって、下界の常識では不敬扱いだとしても、本物は荘助の側にあるのだろう。