[ 八犬伝の謎 - 18 ]

● 野と名
　野良猫とは言うが、名良猫とは言わない。
　一方、八犬伝の登場人物、野幕（のまく）砂雁太は、名幕（なまく）砂雁太とも言う。

　本題に入る前に、野幕（のまく）砂雁太（しゃがんた）とは何者かについて記す。
　上総榎本城主・千代丸豊俊の家臣。千代丸の殿様がうっかり蟇田素藤に味方して里見の捕虜になって以後、素藤の再叛時に、千代丸残党を率いて素藤方として里見と対決した。

　同僚に、仙駄（せんだ）麻嘉六（まかろく）がいる。
　彼は、同じくうっかり蟇田素藤に味方してしまった上総庁南城主・武田信隆の家臣。信隆が逃げた後、彼もまた素藤の再叛時に、武田残党を率いて素藤方として参戦した。

　で、話を野幕砂雁太に戻す。
　ここから本題である。
　初出は「野幕」で、途中で「名幕」に変わって、最期は「野幕」で終わる。

「野幕〔野幕又名幕に作る、「な」と「の」と相通なればなり〕砂雁太が首をもて、南弥六が首級に代たる、事情を尋問ふに…」 （第九輯下帙上第百二十一囘）

● 不動明王
　仏教には真言というものがある。
* 真言宗だけでなく、浄土真宗以外のすべての宗派にあるらしい。
　仏の教えを日本語に翻訳せず、原典であるサンスクリット語をそのまま読む、呪文のようなアレだ。

　その中から、不動明王の真言を記す。
* 大咒・中咒・小咒と、長文から短文まで３種類あるが、これは中咒。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」

「ナーマク・サーマンダ・バザラナン・センダン・マーカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」

● なんで真言由来？
　問題は、野幕砂雁太と仙駄麻嘉六が、ともに里見の敵だということ。
　八犬伝世界は名詮自性。由緒正しき真言に由来する名前をつけるなら、それなりに立派な人物のはず。ところが、彼らは悪人に味方した連中である。

　なんか、おかしくね？

　と、ここで気になるのが、彼らが味方した蟇田素藤の軍師・天助尼公こと妙椿だ。
　彼女の隠れ家にあった掛け軸の文字を以下に示す。
* Unicode にもない文字なので、画像で表現するしかない。

* 二つの文字を組み合わせて、CSS指定で幅を半分にして文字っぽく見せたのが以下。

● ダジャレ？
　真言ならぬ偽言だとしても、なんで不動明王？

　ここで、蟇田素藤方の武士の名前をあれこれ見てみる。

① 奧利（おくり）狼之介（おほかみのすけ）出高（いでたか）
　　……送り狼、出たか！

② 曾平（そびら）瀬十郎（せじうらう）
　　……そびら＝背。つまり、背背。

③ 卒良井（いらさゐ）尻九郎（しりくらう）
　　……いさらゐ＝尻。つまり、尻尻。

　ふざけた名前ばかりである。

　であるならば、野幕砂雁太と仙駄麻嘉六も、ふざけた理由で不動明王から名前をもらっているはずだ。
　思いつくのは「不動」だ。

　彼らの主君は蟇田素藤に味方した。
　その後、親兵衛の出現で素藤が敗れた時、千代丸豊俊は里見の捕虜となり、武田信隆は逃亡した。
　しかし、野幕や仙駄は 動かず、そのまま蟇田方に味方し、素藤再叛時にそのまま蟇田陣営にいて里見と戦った。

　ふざけた命名とはいえ、有名な孫子の「不動如山（うごかざることやまのごとし）」ではなく、不動明王真言を使うあたり、マニアックだなぁとも思う。
* 亭主が不動明王真言を知っていたのは、たまたま母の実家が先祖代々真言宗の檀家だったからである。江戸時代と違って寺の檀家であることが必須ではなくなった現代においては、元ネタが真言とわかる人が減っていそう。