白龍亭・模写「長禄江戸図」（謎の地理の由来）
■ 目次 >> 地図（補図） >> 模写「長禄江戸図」（1999年頃～／2025年 2月改訂再開）
▼「長禄江戸図」簡易模写
国立国会図書館蔵「長禄年中江戸図」から
* 高精細+小画面（スマホ）は、地図の縮小表示可能。それ以外（PC）は、地図の拡大表示可能。
* 地図上、ダブルクリック（ダブルタップ）で、地図を横倒しして北を上にできる。もう一度同じ操作で元に戻る。なお、横倒し時に拡大縮小ボタンが機能しない場合があるので注意。
* 模写地図は元々、拡大しても文字がちゃんと読めるように Flash 形式にしてあった。だが、Flash が廃止されて、地図を表示できなくなってしまった。ゆえに当初は再開を諦めていたが、八犬伝における不自然な地理を理解する上で必要なので、改めて Png 形式で模写地図を描き直した。但し、以前ほど丁寧な模写ではなく、簡易的な模写。
* 模写元は「国立国会図書館デジタルコレクション・長禄年中江戸図（別タブ）」だが、簡易模写なので、山を省略。地名も一部省略している。また、スペースの都合上、地名から「村」の文字も省いた。
【長禄江戸図とは】
長禄とは、犬士たちが生まれた頃の年号。つまり室町時代である。
その頃の江戸周辺の地図ということだが、後世の江戸時代に描かれたものであるらしい。亭主はその辺の詳細は知らない。
「神宮村は豐嶋郡、今の王子より北のかた十七八町にあり（中略）長祿・長享の地圖を考るに、この河の西岸なる村々、尾久・豐嶋・梶原・堀内・十條・稻附・志村等の數村ありて、神宮村なし。按ずるに、かにはは梶原を訛れるなり」
（第廿四囘）
つまり、馬琴は長禄江戸図を見ている。
八犬伝では、この地図に描かれた古い奥州街道（上図におけるピンク色のライン）に沿って歩く場面がある。問題は、この街道を現実の地理に当てはめると、かなり変なルートになってしまうことだ。江戸の住人で江戸周辺の地理を肌身で理解していたはずの馬琴も、当然それに違和感を覚えていたであろう。この古道を使ったり、江戸時代の街道を使ったり、混乱なのか迷いなのか都合次第なのか、八犬伝中には両方の地理感が混在している。
変なルート……とは書いたものの、それは「馬琴の頃の江戸」や「現代の東京」の地理感覚で言えば、という話。
古い奥州街道にも合理性はある。西を上にした地図上、左上から「下渋谷・上渋谷」までは現代の東急・田園都市線（旧玉電）沿いか東急・東横線沿いだと思われる。そこから先、「原宿」「千駄ヶ谷」「雑司ヶ谷」あたりまでは、JR・山手線に並行しつつ東京メトロ・副都心線に沿っている。その先、「巣鴨」「西原」「田端」「三ノ輪」は少し離れつつも東京都交通局・都電荒川線に並行している。
* 三ノ輪から先の「石浜」での渡河ルートは鉄道橋も道路橋もがないが、渡河した先には京成線などが走っている。
つまり、急坂が苦手な鉄道路線に沿っているわけで、大回りながら、起伏がさほど激しくないルートとしては間違ってはいない。
ただ、それを八犬伝世界に当てはめた時に、一部変なルートになってしまうのだ。その詳細は個別に見てゆくことにする。
* 古道に関して「八犬傳地圖 Maniac」の江戸周辺図にも点線で表示してある。ただし、それは以前の Flash形式で模写した地図に由来するもので、今回模写しなおした地図とは少し異なる。ちなみに、以前の模写の元地図が何であったかは、記憶も記録もないのでよくわからない。具体的に言うと、以前の模写地図では古道が「大沢（今の赤阪）」と「板橋」の至近を経由していた。新しい模写元では、大沢も板橋も脇目に見るだけで、離れている。
【犬川母子の旅路】
犬川莊之助とその母は、伊豆から安房を目指した。
「辛して鎌倉に赴き、安房へ便船を求にけれども、今戰國の最中なれば、海陸の通路たえて、彼處より船を出さず、下總なる行德の港口には、上總に渡す船あり、と人が誨て候へば、又行德をこゝろざして、稍この郷まで來る程に、路費を賊に掠とられて、宿借るべうもあらざれば…」
（第二十囘）
鎌倉から船便が出ておらず、船に乗れる行徳を目指して陸路を歩き、大塚で路銀を盗まれて万事休す。
現代でも江戸時代でも、鎌倉から行徳に向かうのであれば、東海道を使うのが一番の近道。筆禍を避けて江戸城周辺を書かない八犬伝でもあり、室町の頃は江戸の海側にまともな道がなかったという設定に従えば、確かに江戸周辺で内陸ルートをとるのは正しい。しかし地形的に見て、江戸城北側の谷筋を通って小石川あたりを通るのなら分かるが、さらに北の大塚を通るのは江戸時代の地理からしても「遠回りすぎる」という感じであろう。
ここで長禄江戸図を見る。
大塚よりもさらに北＝奥の内陸に古道が通っている。
「品革・馬驪・澁谷の莊は、當日鎌倉路次」
（第九十囘）
別の場面の記述だが、当時の鎌倉街道が品川（東海道の宿場）から、目黒・渋谷と内陸に向かっていたとある。そして、長禄江戸図に描かれている街道は、品川・目黒こそ通っていないが「上澁谷村」と「下澁谷村」を通っている。
つまり、鎌倉から歩いてきた犬川母子は、仮に、長禄江戸図の古道を歩かずに海沿いを歩いて来たとしても、品川→目黒→渋谷を経て、結局は古道と合流する。そして、大塚の北側に至るのだ。
* 古道を通ったとしても、だったら古道を外れて大塚に南下したのは何故？という地理的な疑問は残る。
【信乃・額蔵の許我行き】
信乃が見送りの額蔵とともに大塚から許我に向けて旅立った道筋がおかしい。
「巣鴨を左邊に見かへれど、跡は濁さぬ石神井の、流に添ふて西个原、田畑を過る夏の雨に、追れて蓑輪の笠やどり、石濱村に舟まちてややうち渡る墨田河、その樹下の涼しさに、霎時とてこそ柳嶋…」
（第廿五囘）
現在の地名表記に置き換えれば、西ヶ原→田端→三ノ輪→石浜→柳島、というルートになる
江戸時代の地理感覚からすれば、許我へ行くなら日光道中（奥州道中）か、岩槻道（日光御成道）経由が普通だ。大塚から西ヶ原まで進んだら、西ヶ原を通っている岩槻道をそのまま、王子→稲付（赤羽）→岩渕→川口、と北上すればよい。ところが信乃たちは、田端→三ノ輪へと南東に進んでいる。ここまで来たら三ノ輪を通っている日光道中をそのまま、千住→草加、と北上するのが自然。しかし、さらに東進して石浜から隅田川を渡河。しかもすぐに北上せず、柳島まで東進。いったいいつになったら北へ向かうのか？
この謎ルートも、長禄江戸図の古道と重ねると、スッキリと理解できる。
* 信乃たちのルートを示した上図だが、Flash形式を使っていた以前の模写地図に従って古道を板橋経由としている。新しい模写に従って地図を描き直す気力がなかったのでそのまま。板橋を経由させない場合、極端な Uターン部分が多少緩和される。
古道を見れば、石神井川から、西ヶ原→平塚→田端在、を経て石浜村の脇を通って渡河。須田村→柳嶋、となっている。信乃たちの道筋そのものだ。
ちなみに、信乃を見送った後の額蔵は帰路、千住で渡河する。ということは日光道中経由であろう。室町時代の道を行って江戸時代の道を帰ってくる。帰路の方が江戸の読者にとっては自然なルートではあるものの、なんというか不統一なんだな。
【池袋の戦い】
道節の父や主君を含む豊島の一族が滅ぼされたのが「江古田・池袋の戦い」……と八犬伝に書かれているが、史実は「江古田・沼袋の戦い」であり、平川上流の川の分岐点に近い古戦場跡は現在の地図にも載っている。
沼袋と池袋は、そう遠くはないとはいえ別の場所。しかも別の川筋。
これも長禄江戸図を見れば、平川上流（らしき場所）の川の分岐点に「池袋」の文字があって「沼袋」はない。八犬伝の記述がこの古地図の影響を受けている可能性はある。
【境界線の額蔵】
……と、大塚を舞台とした初期の物語では「長禄江戸図」に描かれた街道筋を歩く主人公たち。
後に「鎌倉路次」にちらと触れはするものの、途中からまるっきり江戸時代の街道筋しか歩かなくなる。「長禄江戸図」ベースの記述は江戸の読者にとっても違和感があっただろうし、書いている馬琴も「やっぱり変だよな～」とか思い直したのかも知れない。前述した「室町時代の道を行って江戸時代の道を帰ってくる」額蔵の往路と復路の間に、その境界線らしきものが見える。
【長禄図再び、千住】
額蔵が千住経由で帰ってくる第二十八回からかなり時が流れ、忘れた頃に馬琴は再び長禄江戸図に戻ってくる。
「昔は鎌倉より陸奧のかたに到るに、田畑在より川ふたつばかり渡して、千住に到り、石濱に到り、石濱より墨田河を渡して、須田村に到り、柳嶋に到れり。（中略）これ三四百年前の鎌倉街道なるよしなれども、いづれの川にも橋はなし。千住以西は本街道にあらず。無下の村落（かたゐなか）なりしを知るべし」
（第八十二囘）
馬琴の時代、千住は栄えた宿場町であり、川には千住大橋がかかっていた。江戸の北の玄関口だったのだ。当然、額蔵のように北から戻ってきたら千住河を渡すのが当時の常識。
にもかかわらず馬琴が再び長禄江戸図を持ち出すのは「千住は今と違って田舎だった」と語る必要があったからだろう。第八十二回は大角と現八が賊と間違えられて穂北に捕われる話の発端だ。場所は千住近く。本街道が近くて人通りが多くては話にならないし、簡単に川を渡ることが出来てしまっても困る。後に大角と現八が信乃・道節と舟で再会する話とも合わなくなってしまうからだ。
……ということになると、額蔵は何故にそんな寂れた場所を通って帰ってきたのだろうか？
千住が街道筋だったり片田舎だったり、なんか御都合主義的に長禄図を利用してないかい、馬琴様？
* 更に後の対関東管領戦の時に、千住は敵軍の上陸地点になる。再び長禄江戸図を離れて、交通の要衝に戻るわけだ。
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