[ 八犬伝邪読 - 27 ]
● 妾の子たち
八犬伝において、正妻ではなく、妾の子であることが明白なのは以下の七人。
① 犬阪 毛野 胤智
② 浜路
③ 浜路姫（里見・五之姫）
④ 鄙木姫（里見・三之姫）
⑤ 上甘理 墨之介 弘世
⑥ 雪吹姫
⑦ 上杉 式部少輔 朝寧
* 犬山道節も生れた時点で母親は妾ではあるが、後に正妻になったため上記リストには入れていない。
* 里見八姫に関しては、正妻の娘が確定しているのは弟姫のみ。他の七人は妾の子の可能性が高い。ただ、明らかに妾の子だと記述されているのは、浜路姫と鄙木姫の同母姉妹のみ。よって、母親が誰だかわからない五人の姫については、上記リストには入れていない。
このページは、上記の人物を俯瞰して雑感を述べるだけ。「邪読」のようなひねくれた考察もなければ、「八犬伝の謎」に挑むわけでもない。かといって、そういう「雑感」という項目は当サイトにはないので、とりあえず「邪読」の項目下に入れた。
* ふと「犬士の中で、毛野だけが妾の子だなぁ」と気づいて、他の妾の子はどうなんだろうと調べたのが、このページを書いたきっかけ。
ちなみに「列伝」というには、各人の経歴に触れていないので、タイトル詐欺でもある。
● 妾とは？
で、妾とはそもそも何ぞや？
八犬伝に関する高度な分析で知られる小谷野敦氏の著書を読んでみた。
「私を混乱させたのは、「正妻は娶らない」と言っておきながら「妾なら置く」という信乃のせりふが、準・恋人的な地位にあった女性の死に手向けるものとしては異様に響いたということだろう。（中略）作品に現れる「妾」の機能に対する考え方には、改めて考え直さねばならないものがある。おそらく曲亭馬琴には、犬塚信乃に奇怪なことを喋らせているという意識はない。「正妻」と「妾」の間には、（幸いにも？）現代人の意識からは失われてしまった違いがあるのだ」 （小谷野敦 著「もてない男」より）結局のところ「現代人の意識からは失われてしまった」というとおり、現代人たる自分には、いまいちよく分からないままだ。
● 里見八姫は例外？
里見八姫は、本妻の子と妾の子がまじっていて平等に扱われている。
だったら、妾の子だからといって扱いが低いのは嘘？
里見義成「我に八個の女兒あり。开が中に妾腹なるも多かれど（中略）皆吾妻が養ひにて、年迨になりにたり。有恁れば、孰も嫡腹に異ならず」 （第九輯下帙下編之下 第百八十囘下）いやいや、同じ扱いにしているのを敢えて語っているのは、一般的にはそうでないからこそであろう。
* 吾妻前は、里見義成の正室。
● 妾腹の不安定な宿命
ここで、八犬伝を離れるが、会津藩祖たる保科正之が気になる。
彼は二代将軍・秀忠の妾の子。なのに、後に異母兄・家光に認知されるまで、秀忠の子としては扱われなかった。色々な事情があったとはいえ、正妻の子であればこのような扱いを受けることはなかったであろう。
つまり、妾腹の子の地位は不安定で、場合によってはその家の子として認められない、ということになる。
● グレーゾーン毛野
八犬士の中で、唯一毛野だけが妾の子だ。
毛野の父、粟飯原胤度が逆臣の汚名を着せられて殺された後、逆臣ゆえに正妻を含めて家族も殺された。が、毛野の母、調布は追放に留まった。この件は「粟飯原家をぶっつぶす」であるからして、正妻は粟飯原家に所属しているが、妾は所属はしていないことになる。
「実胤・自胤の兩下知なりとて、胤度が長男に、粟飯原夢之助とて、今玆十五歳になりける美少年に、腹を切らせ、〓に胤度が妻稻城と、五才になりける女兒をも、僉おなじ日に殺してけり。（中略）胤度の妾に、調布といふものあり。（中略）血塊なりけりとて、遂に追放されにけり。（中略）犬坂といふ山里に在りける程に、かの病惱は血塊ならで、その年の暮に、子を産にきと…」 （第六輯 第五十五囘）ここで前述の保科正之の例から考える。
* 〓は竝の異体字。
● グレーゾーン墨之介
妾の子がグレーゾーンであることが、毛野以上に問題な例がある。
神余光弘の妾の子、上甘理墨之介弘世だ。
ここで再び、八犬伝に関する高度な分析で知られる小谷野敦氏の著書から引用する。
「義実は、神余を滅ぼした逆臣を討って安房の領主になったのであるから、ほんらい神余の敵だとは自覚していない。しかし、結果として麻呂・安西・神余の旧領主にとって、義実は簒奪者でしかない。（中略）もし、上甘理弘世が＜廃人＞でなかったなら、義実は安房の正当な領主が彼であることを認めねばならなかっただろう」 （小谷野敦 著「八犬伝綺想」より）神余家は、安房の正当な領主であるから、確かにその血を引く者の上に正当性がある。
● 捨てられる娘
浜路。
犬山道節の異母妹だが、母親の悪事を理由に、生涯不通という残酷な条件を付けて大塚家の養女に出された。母が罪人だとしても娘に罪はなかろう。なのに父親に捨てられたわけだ。
雪吹姫。
将軍家の血筋である足利義視の娘でありながら、細河政元の養子にされた。管領家の養子とはいえ、元が将軍の血筋だから格下に養子に出されてしまったわけだ。
どちらも、正妻の子ならこんな扱いは受けまい。
● 天に愛された妾の子
最後は上杉式部少輔朝寧だ。
八犬伝のラスボス・扇谷定正の庶長子＝長男だけど妾の子、である。彼の場合、認知する立場の父親・定正が生きているので、妾の子といえども上杉家の一員として受け入れられている。しかも、洲崎沖の海戦では、総大将の父親に次ぐ副将の地位で一万二千人の兵を率いている。かなり大切にされている子のようだ。
「第四番は、定正の長男上杉式部少輔朝寧を副將として、武勇の老兵、昵近の青侍、華美に擐甲たる者一百餘名、雜兵と俱に一萬二千餘名たり。第五の隊は、總大將、扇谷修理大夫定正…」 （第九輯下帙下套之中 第百七十二囘）ちなみに、正妻の子である異母弟の上杉五郎丸朝良は、行徳口の陸戦の総大将を任されている。こちらも親に大切にされているようで、定正の子育ては案外悪くなさそうだ。
「道節は、矢聲劇しく〓と射る。射られて朝寧一霎時も得堪ず、身を仰反せて大洋に、墜て水底にぞ沈みける」 （第九輯下帙下套之中 第百七十四囘）
現八「この後生は（中略）定正の庶長子にて、洲崎へ寄する水軍の副將と聞えし、上杉式部少輔朝寧主なるべし」 （第九輯下帙下套之中 第百七十囘）
「犬山道節忠與は、上杉朝寧を射て落したれども、矢場に其首を捕るに由なく、反て現八に其敵を獲られて、剩親兵衞が神藥にて、朝寧は再生たり。這得失は天に在り。人のよく作す所にあらず」 （第九輯下帙下套之中 第百七十囘）実在人物だから殺してしまうわけにはいかなかったとはいえ、天の加護が凄すぎる。
「式部少輔朝寧の妻を、貎姑姫と喚做すあり。是は此京師なる、某甲中納言の息女なりしを、定正近曾乞下して、朝寧にぞ妻せける」 （第九輯下帙下編之下 第百七十七囘）さらに特別なのは、定正は、この妾の子のために、京都から中納言の娘を嫁にもらっていることだ。
* ちなみに、この回からが、馬琴自筆ではなく、お路代筆になる。
毛野「朝良主は、箙殿の外孫にてましますに…」 （第九輯下帙下編之下 第百七十九囘上）正妻の子たる朝良と比較して、妾の子たる朝寧が格下で冷遇されるどころか、逆に、天にも父親にも優遇されている。
● 番外：小波姫
毛野の妻になる、里見八姫のひとり、小波姫。
彼女の母親が誰なのかは明記されていないが、妾の子である可能性大だと思う。
八姫は、年齢順の番号がついているが、小波姫は七之姫。で、年齢が近いはずの八之姫は正妻の娘。七→八と連続して正妻が娘を生んだ可能性もないわけではないが、正妻と妾がほぼ同時に妊娠したと考える方が自然ではないのか？
表向きは平等といいつつも、深層の無意識では妾を格下に見ているはずの世界だ。
格下の妾の子＝毛野。その妻に、正妻の娘がなることを、里見家は内心快く思うまい。組合せの選択は運任せではあったが、里見家（特に正妻の吾妻前）は、この結果にホッとしていそうな気がする。
……というのは、亭主の妄想でしかないけど、深層心理の差別意識なんて、そう簡単に消えるものではないからね。
* 世の中「差別反対」を声高に叫ぶ人に限って、実は自己の内なる差別意識を直視しておらず、無意識の差別が酷かったりする。差別意識ゼロの人間など存在しないのに、彼等は自分には差別意識がないと信じ切っていて疑いもしない。ゆえに彼等の差別意識を指摘すると、烈火のごとく怒りだして、話にならない。厄介な連中だ。……そういうのを見ているから、八姫を平等に扱っていると思い込んでいる里見家こそ怪しいと思うのである。